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2022.05.17 (火) コラム

「どんなリハビリを受けたいですか?」

運動療法は身体の機能障害(病気やケガが原因で動かしにくい状態)を改善するための治療技術である。

スマホやインターネット環境が普及しはじめて、リハビリを受ける側も「なんで痛いのか?」「どんなリハビリがいいのか?」と言った疑問に対してネットからある程度情報が得やすくなった状況です。

理学療法士は、“運動療法”を通して患者さんにアプローチを行います。

そこには経験値や治療技術講習会などの知識を活かして対応していきます。大変困難な

「技術」の習得度を判断するための基準は何か?

それは、すなわち治療における結果である。(治すためのリハビリ=運動療法”)

運動療法テクニックはすでに多くの先人が開発しているが、いまだ確立されたものは少ない状況であり、今もなお進化の途上にあります。(治すための探求)確立されてないから治せないのではく、これからの運動療法の開発に参加できることに喜びを感じる方が大きいと考えます。

 

 

 

「温故知新」という言葉があります。簡潔に述べれば「昔のことから新しい事を学ぶ」といった意味合いです。

そう、現在の運動療法も医学界も解明されてない現象が研究されたり、原因究明となったりしているのが現状です。人の身体は昔から基本的には変わりません(昔の人だから骨が多いとか現代の人だから・・といったものは無いに等しい)人体は変わらないのに何で治療技術が発展途上なのか?その答えはどれだけ学んで解釈し、運動療法として目の前の症状に対して改善させきれるか?の中に答えがあると思います。

運動療法は学校で学ぶだけでなく、むしろ資格を取って臨床に出て、実際の患者さんとの関わりの中から学ぶことが多い気がします。

人体の構造、運動を理解し運動療法の新しい理論と技術を創造するためには1つの分野の知識、学問だけではとうてい不可能である。

他の分野の知識、理論も取り入れ、協同して研究していかなければ新たな発展はないものと考えます。

運動療法は言葉を媒介にしないで行うことは困難である。したがって治療中に理学療法士が話している言葉は運動療法の一部であり、言葉は治療技術の一分野として位置づけられるべきものである。(患者さんにリハビリの説明や今このためにリハビリをしています)言葉の選択、話す順序、話し方、話す時の態度などが重要で、どれかがうまくいかなくても運動療法の効果は期待できなります。

また、病気やケガによって障がいが出現したとき、多くの人々は今までとは異なる人生を歩むことを余儀なくされ、将来に不安を抱き精神的にも不安定になっている。

理学療法士の言葉は支えになり、運動療法の遂行を有利にさせます。

逆に不安を感じさせ不利にさせることもある。不用意な言葉、たとえそれが励ましの言葉であっても患者さんが傷つくことがあることを認識すべきです。

我々は日常生活で言葉を自由に使っているために、言葉は簡単であるという認識をもっているが、言葉の使い方は大変難しいものです。

同じ言葉でも相手によって受け取り方が違う。同じ相手でもときによって受け取り方が異なることもあります。

同じ言葉でも言葉の響きで受け取り方が違ってくる。人体の機能障害に対応する技術と同様に、言葉を駆使できるように学ぶ必要があるといえます。

           

 

 

 

(創造的運動療法”)

運動療法は知識を思考により統合した理論であり、また技術です。

常に創造的思考が内在されなければならない。知識を思考により統合するには独自の哲学のようなものが必要と考えます。

要するに、自分に得られた知識と技術をいつ?どこで?どんなときに?に使うかということだと思います。

学院を卒業した人たちは理学療法士1年目になります。いつまでも新人ではありません。

就職して日々患者さんのために運動療法を実践していく・・

知識不足も経験不足も等しくあるのではなく、性格が違うように不足場面も色々あります。

創造的運動療法とは、そんな中で常に探求心を持ち続けることから始まります。

公園のおおきな木をイメージしてみて下さい。土壌(知識)に栄養(哲学的)があるから木はだんだんおおきくなるイメージです。

その木は遠くから見たら全部見えます(患者さんの身体)

また近くに寄って木をみると細かい枝葉が見ることができます(腕とか足とか腰とか部位)

患者さんの動きを見て改善点(気になるところ)と代償している点(体が頑張って動いているところ)を元にして運動療法を展開していきます。

理学療法士になりたての時は人の動きから何かを見つけることは難しいと思います。創造的な建設的な考えをもつ秘訣は「自分がリハビリを受ける側だとしたらどんなリハビリを受けたいか?」に尽きると思います。それは「治るリハビリ」「安心して受けられる」「信頼できる」ということだと思うのです。最初から上手い運動療法を提供しようとしても上手くいかないと思います。でもそれでいいのです。なぜなら創造的に物事を考えようと、「自分が受ける側なら」という気持ちがあればこそだと思います。経験から学ぶことも大切です。次に活かせればその経験は無駄にはなりません。最後に運動療法について自分自身も創造的に考え、「自分が受けるなら・・」と考えています。

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